優秀賞 使命
「ヘナのある風景」エッセイコンテストの優秀賞5作品目に選ばれたのは、じゅん様の「使命」です。
新婚旅行で訪れた、インドのソジャット。ヘナ畑が広がるこの土地で、作者の夫婦が目にしたのは深刻なインドの貧困…。その時に感じた衝撃を鮮明につづっています。
じゅん様 「使命」
ヘナのある風景。それを初めて見たのは三年前。
新婚旅行でヘナの産地であるソジャットを訪れた時だ。
思えばソジャットまでは実に遠かった。何せニューデリーからジョードプルまで1時間半のフライトを経て、そこから南に100kmほど車を走らせる。
ようやく目的地に着く頃には夕陽が空を染めた。目前に広がるヘナ畑の美しさ。その姿はまさに有機栽培の極みとも言える。 しかし、である。たまたまこんなやり取りが耳に入ってきた。 「農薬は使ってる?」 「高いから使えない」 「じゃあ、肥料は?」 「高くて買えないよ」 僕はハッとした。この有機栽培をたどっていくと見えてくる大きな壁。それは貧困。農薬を使わないのではなく使えないのだ。肥料は買いたくても買えないのだ。そんな貧困が生んだ有機栽培。聞けばソジャットの土地はヘナ以外の作物には不向きだという。つまりヘナ以外でお金になる作物の生産が難しいという点も貧困の要因だった。
このあとも僕らはインドの貧困を目の当たりにする。僕らがニューデリーのメインバザールに立ち寄った時だった。後ろからから「20ルピー」(約30円)の声がした。見ればヘナタトゥーの店員である。インドでは結婚式に欠かせないのがこのヘナタトゥー。せっかくの新婚旅行とあって妻にも体験してもらった。
しかし請求されたのはその70倍もの値段である。何やら20ルピーとは1インチの価格だという。妻の腕に施されたタトゥーは1インチどころではなかった。
「そんなの知らない!それなら最初に言ってよ!」 思わず店主に抗議した。
しかし彼は悪びれもなく、だが寂しそうにこう言った。 「日本人はカネがあるんだから」
続けて彼は現地人が良質なヘナを使えないことに言及した。最高級と呼ばれるヘナは輸出品として先進国に送られるらしい。これはコーヒー豆を栽培しているジャマイカなどにも言える。 彼らだって美味しいコーヒーを飲んだことがない。全てはお金のために。全ては貧困のせいで。
ひとたびメインバザールを抜けるとストリートチルドレンに遭遇した。ガリガリに痩せ、赤ん坊を背負って手を差し出す少女。呼吸をしてるのかしてないのか、路上で横たわる少年。手足のない子どもがボウルのようなものを差し出してくることもあった。
要は金が欲しいのだ。最初は「絶対金はあげない」と決めた僕だが今にも倒れそうな姿を見て心が揺さぶられた。
「これ……」
僕は持っていたパンをつい差し出した。しかし相手は「お金がいい!」と強く首を振った。
お金を貰って帰らなければ痛い目に遭うのだろうか。インドでは組織的に子どもを使って物乞いをさせる場合もあるという。お腹も満たせなければ心も満たされない現実。僕はパンをそっと置いて帰った。
帰国後、妻のヘナタトゥーは十日もすれば消えた。しかし貧困が生んだ哀しみや憎しみは十日経っても僕の胸から消えることはなかった。インドで見たもの。ヘナを通して見えたもの。それは生を受けた人間が、生とは呼べない暮らしをしていることだった。
現在僕は妻の薦めるヘナカラーを使っている。このヘナの売上金がインドの子どもたちの教育費になるという。今の僕にはそんなことしかできない。そんなことをしたって貧困はなくならないし、子どもたちに教育が行き渡るわけでもない。だけど僕は彼らの存在を忘れたくない。いや、忘れてはいけないんだとも思う。
だって僕らは人の間で生きる「人間」だから。人の中にいればぶつかるし上下関係もある。しかし人の間にいるからこそできることがある。助け合い、支え合い、信じ合い。
僕はこれからもヘナを使い続ける。それが人の間で生きる僕の使命だと思うから。
※写真はイメージです。
エッセイの選評
(グリーンノートのコメント)
ヘナを通じ、インド社会の側面を鮮明に描かれた内容が、代表の中澤やスタッフの間で高く評価された作品です。
メーカーとして、深く考えさせられるテーマでもありました。
じゅん様は、責任感が強い方でいらっしゃるのでしょう。
そうした方が一度でもインドの現実を目の当たりにしてしまうと、目を背けることはなかなか難しいものです。
一方で25年以上もインドに通い続けている私たちから見ると、最近の経済発展は目覚ましく、訪れるたびに驚きの連続です。特にヘナ業界は、オーガニックの国際認証への取り組みが世界的に評価され、農家全体の暮らしも以前より向上してきました。
ヘナを通じて、少しでも環境・貧困問題の改善に役に立てれば…、じゅん様と同じ使命感を、私たちも強く感じています。