果敢賞 ありがとう
「ヘナのある風景」エッセイコンテストの果敢賞の最後に選ばれたのは、こまゆみ様の「ありがとう」です。
新米美容師をはげます一人のお客様。ヘナのエピソードも交えながら、一人前になるまでを見守るお客様との温かい交流がつづられています。最後にあかされるお客様の正体に、思わず涙する作品です。
こまゆみ様「ありがとう」
美容師になって十年。仕事柄コミュニケーションを取るのは得意な方だ。
しかし一人だけ、それが難しいお客様がいた。 仮にOさんとしよう。
Oさんは半年に一度私の美容院にやって来るお客様だった。
うちの美容院は指名制でOさんはなぜか毎回私を指名した。
「本日はどうなさいますか?」
「おまかせで」
そう言いながらヘナカラーの中でも一番高いコースを選んだ。
私を悩ませたのがこの「おまかせ」である。
カットにしろ、カラーにしろ、全部委ねられると逆にどうしていいかわからなかった。
思えば初めてヘナカラーの施術をしたのもOさんだった。
固定客がおらず掃除ばかりしていた私をOさんは指名した。
あの時も「おまかせで」と言って私を困らせた。
「せめてヘナの種類だけでも」
「何があるの?」
「天然ヘナとケミカルヘナでございます」
「どう違うの?」
「ナチュラルヘナは天然100%でミソハギ科の植物を粉にしたものです。天然なのでこのお色にしか染まりませんが肌にも安心してお使い頂けます」
「ふうん。で、そっちは?」
「こちらはジアミンという化学物質過が入っていてよく染まりますが肌の弱い方にはお勧めできません」
そう言うとOさんは「ふうん」と含み笑いを浮かべ、最後に「じゃ、天然の方で」と言った。
Oさんは施術の間もウトウトと眠る人だった。
何せこの日のために北海道からあさイチで飛行機に乗って来るというから無理もない。
たまにハッと目を覚まして「そう言えばちゃんと食べてるの?」と聞いてくることもあったし、「いい人いないの?」と余計な世話を焼くこともあった。
それでもやはりヘナカラーは他のカラーリングより時間がかかり、最後は首が折れるような姿勢で寝ていた。
あれから十年。今や私も指名客に恵まれ、私生活でもパートナーができた。
来年には式を挙げ、新生活をスタートさせるつもりだ。
しかしそんな報告をしたくても、もうOさんが店に来ることはない。
Oさんは三年前脳梗塞でこの世を去った。
思えばわざわざ北海道からやって来て、いつも一番高いコースを選んだOさん。
それは少なからず新米の私を応援したいという親心だったんじゃないかと思う。
「おまかせで」 そう言いながら本当はハラハラしていたのかもしれない。
カットがイメージと違う日もあった。
カラーの時間を間違えた時もあった。
それでもOさんは通い続けた。
雨の日も、台風の日も。そんなOさんには感謝しかない。
だからこの場でお礼を言いたいと思う。
ありがとう、Oさん。 いいえ。ありがとう、母さん。
※写真はイメージです。
エッセイの選評
(グリーンノートのコメント) 誰もが新人だった頃ってありますよね。美容師として一人前になるまでに、先輩やお客様からたくさんのお叱りや励ましがあったことでしょう。本人はうまくやっていると思っていても、実はまわりはハラハラしていたなんて、案外後になって気づくことなのかもしれません。 親も例外ではありません。子供を無事に社会に送り出したと思っていても、やはり心配なのが親心です。 あまり過保護なのも本人にはよくない。それを分かっている程よい応援に、大きな愛情が感じられ、読んでいたスタッフも思わず涙してしまいました。 最後の一文であかされるお客様の正体。「ああ、そういうことだったのか!」読み返すとすべてがつながる見事な結末でした。