運命を変えたヘナとの出会い グリーンノート

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髪に悩み続けた主婦がたどり着いた道

運命を変えたヘナとの出会い

グリーンノート 代表 中澤由紀子

髪に悩み続けた主婦が辿りついた道 運命を変えたヘナとの出会い グリーンノート  代表 中澤由紀子

  • 第1章最悪の髪質への悩み、それが起点になりました
    ヘナの商品を開発し、日本で発売してから20年以上の月日が流れました。それ以来、数え切れない程の沢山の方にヘナの良さを実感して頂き、ご愛好頂いていることに感慨もひとしおです。生まれながらのひどい髪質に悩まされていたわたしにとって、現在の自分の姿は予想すら出来ないことでした。

    会社を退職し、普通の主婦をしていた当時の私の一番の悩みは「髪の毛」にありました。強い癖毛で太く、極端に乾燥したバリバリ、ゴリゴリと、髪の根元から飛び跳ねる手に負えない髪質に子どもの頃から大きなコンプレックスを抱いていました。周囲を見渡しても、私ほどひどい髪質の人に会ったことはありません。どんなにお洒落をしても、たわしのようにツヤのない、ボロボロな髪が全てを台無しにしていました。友人の薦めるものから自分で試したものまで、本当に多くのシャンプーを試しました。なかには2万円を超えるようなシャンプーもありましたが、どれも髪質改善に及びませんでした。

    30代になり、白髪が増え、白髪染めが必要になると悩みはさらに深刻なものとなりました。ただでさえ、傷み乾燥し、ボーボーの髪は、白髪染めやヘアカラーに含まれている化学染料・化学物質に耐えられず、さらにボロボロでくず糸のような髪になってしまいました。
  • 第2章私の人生を変えたヘナとの出会い
    そんな中、ある噂を耳にしました。“インドには、植物から出来た白髪染めがあるらしい”ということを。ヘナという聞きなれない植物。その存在を知ったのは近所の美容室でした。当時私は合成シャンプーの害や危険性について勉強していたので植物性なら安心だろうと、躊躇なく試してみることにしたのです。初めてのヘナ体験は、運命を変えるほどの衝撃を私に与えました。染め上がり自分の髪の手触りに、「これはなんなんだろう~!」と心の底から感動したのをはっきり覚えています。

    なんと、染めれば染めるほど、髪が美しく光り輝くのです。私の乾燥しきっていた髪はみるみる瑞々しい潤いを取り戻していき、ボソボソと飛び跳ねていた髪はしっとりと落ち着くようになりました。白髪の悩みだけでなく、髪の悩みまで一度に解消したんです。

    長年髪に苦労してきた私にとって、ヘナはまさに救いの女神のような存在でした。

    もっとヘナのことが知りたい。ずっとヘナを使い続けていきたい。髪の悩みから解放してくれたヘナを心から素晴らしいと思うヘナを扱って、髪や頭皮で悩んでいる人たちを救うことができるのではないか。それは、きっと幸せな仕事になるに違いない。インドのことも化粧品業界のことも、右も左もわからないにも関わらず、大胆にも一人でインドへ渡航、ヘナ生産者のところへ直接行き、日本へ輸入する手続きをしたのです。
  • 第3章インドへ渡航。そこで待っていた大きな挫折
    勇気を出しての単身インド渡航。そこには大きな挫折と苦悩が待ち受けていました。ヘナ市場には悪質な業者があふれかえっていました。間に入ってくれる通訳はそうした業者と結びつくことが多く、当時は英語も話せない一介の主婦にとっては、まさに自殺行為だったと思います。直に交流できるよう必死で英語を学び、必死に多くの情報を集めました。ようやく納得したヘナを手に入れても日本に届いてみれば、不純物だらけだったということも一度や二度ではありません。インドから送られてきたとんでもない品質のヘナの山に、何度も涙しました。当時は私だけでなく、多くの日本企業が悪徳業者に騙され、商慣習の違いに泣かされていたようです。

    その逆境にあっても、自分の人生に灯りをともしてくれたヘナへの思いは消えませんでした。“生涯自分が使える、納得のいくヘナを手に入れたい”その思いが当時の私を動かしていました。

    今思えば、その時に手にしたヘナの品質は、現在の日本市場でも充分に流通するものでした。けれど最悪な自分の髪質には、もっともっと効果のあるヘナが必要だったのです。諦めてはいけない、くじけずわたしは、最良のヘナを求め続けました。そのためには、何が入っているか分からないものは扱えない。不純物のない、染色力とトリートメント力が高い最高品質のヘナを手にする為に、多くの関係者にお会いし、わずかな情報をたよりに訪ね歩き、努力を惜しまず探し歩きました。

    皮肉なことに調べれば、調べるほどに、現在のヘナの品質や製造方法に疑念がわいてきます。どんどん追求していくと、インドのヘナ業者もヘナのことを良く知らないし、製造現場では、品質を改良しようという意識すらないこともわかってきました。
  • 第4章良心的なヘナ生産者との出会い
    “日本人の女性が、最高のヘナを探している。市場のどんな品質にも満足していないそうだ”。そんな噂が耳に届いたのか、私はあるヘナ生産者と知り合うことが出来ました。幸いにもその生産者は来日経験があり、日本の文化に興味を持っていました。本当に良いヘナを栽培するため、あえて寒暖差の激しい土地で育て、農薬を使わず、手作業で一つ一つの工程をたどる大切さを私に教えてくれました。また彼らも私の思いに共感し、ありがたいことに協力を申し出てくれたのです。この出会いに感謝しながら、私は彼らとヘナづくりを行うことを決めました。
  • 第5章生産者と生活を共にし、ヘナを育てる
    良心的なヘナ生産者に出会ったものの、私の欲しい品質になるまでには思いのほか、長い道のりを必要としました。なぜなら、インドと日本の品質・安全規準には大きな温度差があったからです。

    「日本人はそんな細かいことまで要求するのか?」
    「世界中の誰もそんな手間暇かけてヘナを製造していないのに」

    高い品質に見合う複雑な工程は、当然コストがかかります。その対価を支払い、技術指導をすることでさらなる高品質を目指しました。電話や手紙だけでは伝わらないので、何度もインドに渡航し、栽培農家に泊まり込み、ヘナを研究し、日本人である私が彼らを指導しました。必要であれば日射病も辞さずに46℃以上のヘナ畑に通い続けました。農家の人たちと同じものを食べ、夜は同じ星の下に眠りました。言葉は通じませんが、彼らと生活をともにすることで、気持ちが通じるようになり、ヘナの研究やヘナづくりに対して、インド人たちがわたしの求めることに、より深く理解してくれるようになったのです。
    わたしがいたインドのソジャットの村では、当時ガスや電気もなく、当然TVや新聞もありません。洪水に見舞われることもありましたし、同じ村で出没したトラに命を奪われる方もでたり、私自身も破傷風にかかるなど、さながらジャングルのなかで生活するような毎日をおくりました。そうしたなか、文明的な物質がなくても幸せに生活することができる人々の心や価値観を知ることができたのは、わたしにとって大きな収穫でした。常に物質的な幸せだけを追い求めがちの日本人とは違う生き方を知ること、本当の根源的な幸せを見つめ直すきっかけになったと思っています。

    その後日本に戻った後も、限りなく様々な問題が起こりましたが、そのたびに粘り強く対応し、最終的に自分の理想に近いヘナをつくることができました。なぜインドの生産者たちが、自分たちのヘナ栽培の方法を変えてでも、私の面倒な要求をのんでくれたのでしょうか。その答えは、同じ生活をすることで彼らとの心の距離を縮めることができ、わたしが心からヘナを愛していることを彼らがしっかりと受け止めてくれたからだと思っています。

    当時から多くの改良を繰り返し、わたしたちは沢山の経験と技術を得ることができました。良質のものを提供したいという思いから、いまも生産者と共に、品質の維持や安全性の確保に日々努力を重ねています。
  • 第6章天然素材で健康を広めたい
    多くの方が加齢とともに白髪・脱毛・髪が細くコシがなくなり悩んでいます。誰よりもボロボロで悩んでた私の髪は、家庭で行う簡単なケアだけで、逆に人から褒められるようなツヤやボリュームのある髪に変化しました。鏡の前に沢山そろえていたクリームやヘアケア剤は、もう必要ありません。

    今思えば、悩んでいた当時、わたしが使っていたものは、合成界面活性剤や化学染料がふんだんに配合されていたものばかりでした。元来の髪質だけでなく、そうした便利な化学物質が私の悩みをより深刻にしたように思います。現代でも数え切れないほどの多くの人達が、敏感肌や頭皮・髪のトラブルに悩まされています。無農薬野菜や無添加の食べ物には多く関心が寄せられますが、普段使う洗浄剤や化粧品の安全性の大切さはまだまだ浸透していません。私は全国で講習会を行う際に、ヘナの素晴らしさを伝えると同時に必ず経皮毒や化学染料と合成洗剤の害についてもお話しています。そうしたことを知っていただくのも、わたしたちの役目だと考えているからです。

    天然素材による健康や幸せを感じていただきたい。
    これまでの私の経験や知識をもとに、困っている人々の助けになりたい。
    その願いがより多く叶えられるよう、これからも努力して参りたいと思います。